JBL 2332 and 2352 (8)
1.5インチ径スロートの2352と組合わせるドライバーとして発売されたのが2447H/Jと2451H/Jでした。
1993年頃だと思います。
この2447、2451に先だって1988年に発売されたのが2450H/J
こちらは2インチ径スロート。


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2450はネオジム磁気回路を最初に搭載したドライバーであると共に、フェージングプラグが新しいタイプになったことが特徴です。
そのコヒーレント(整合的な) ウェーブ フェージング プラグについて2450のパンフレットには以下のような記載があります。

"The newly-developed Coherent Wave phasing plug assembly consists of four die-cast annular aperture structures of constant path length to provide in-phase combining of diaphragm output at the driver’s exit.
This optimized configuration allows coherent summation of energy up to much higher frequencies than previous designs, with an attendant increase in perceived high-frequency clarity."

要約すると「4つの環状スリットの音道長を等しくすることによりドライバーの出口で位相の整合を図ることができ、これにより高域側のレスポンスや明瞭さを向上することができる」ということになります。

ところでウェーブガイド理論は1987年10月16日から19日までニューヨークで開催された第83回AES総会で発表されています。
ウェーブガイドホーンはスロート口へ供給される音波が平面波であることが前提となっています。
コンプレッションドライバーの出口から放射されている音波は平面波なのでしょうか?
これについては後日。

JBLの技術者は1987年の冬から実験を開始。
コンプレッションドライバーの出口における音波の放射状態を検証したのだと思います。
ホーンのスロート口付近での音波の拡散状態も。
当然フェージングプラグはコヒーレントウェーブタイプでなければこうした検証はできない。
2450のフェーズプラグはその実証実験用として生まれたのではないか。
そして2450やそのスナウトレスタイプによる検証を通じてJBLはホーンやドライバー全般について見直しを始めた…

5年後に出現した2352、2447、2451は1.5インチスロートというフォーマット変更をもたらした。
これはスロートというドライバーとホーンの結合部とドライバーのフェーズプラグに関するJBLの新たな見解に基づいていた。
このとき多くのオーディオマニアが脱落したが、理解できなかったのだから仕方がない。
残念なことです。


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下の画像はTD-4003。
JBLが1.5インチスロートを発表した直後にTADがあわてて発売したドライバー。
当時スナウトレスの意味を理解できなかったのはマニアだけじゃなかった。





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# by kiirojbl | 2012-04-05 20:14 | JBL Horn | Comments(0)
New Blog by kiirojbl
おかげさまで自転車はどれも銀色が軌道にのりました。
今度は雨の日は東京散歩です。
どうぞよろしく。


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しあわせの きいろいほーん
じてんしゃは どれもぎんいろ
あめのひは とうきょうさんぽ

どれも5音と7音の組み合わせなんだ。
楽しいね。
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# by kiirojbl | 2012-03-30 13:40 | The others | Comments(0)
Subscription Concert No.731 at Suntory Hall
東京都交響楽団の第731回定期演奏会に行ってきました。

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指揮はエリアフ・インバルさん。
メゾソプラノはイリス・フェルミリオンさん、テノールはロバート・ギャンビルさん。
曲目はマーラーの亡き子をしのぶ歌と交響曲「大地の歌」。
どちらも素晴らしい演奏でした。
マーラーさんを好きになったというか、理解できるようになった。


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亡き子をしのぶ歌は震災のあとなのでこれは聴くのは辛そうだなぁと。
それに大地の歌は酒に酔った厭世的な内容。
酒に酔うような話は嫌いなんだ。
そんな気持ちでコンサートへ。

しかし亡き子をしのぶ歌が始まるとそのあまりに悲しく美しい音楽がだんだんと気持ちに入ってきます。
歌詞はフリードリヒ・リュッケルトさんの詩による。
リュッケルトさんの二人の子供さんがお亡くなりになった心境が綴られた詩。
そしてマーラーさんの娘マリアさんもこの曲が作曲された4年後にお亡くなりになったそうだ。

1901年から1904年にかけて作曲され、初演は1905年1月29日。
100年以上経過している。
それなのにこれだけの人がコンサートに集まり、リュッケルトさんの二人のお子さんとマーラーさんの愛娘マリアさんの死について考え、その悲しみを想像する。
100年たっても曲を聴いた人々が気持ちをよせるというのは凄いことだ。
思い出すことが亡くなられた3人の子供さんを蘇らせる。
だから100歳以上長生きしたのと同じになる。
さらに子供を亡くすという悲しい体験をした方はこの曲を聴けば深く共感するだろう。
共感はその人を癒し救う。

厭世的なはずの大地の歌は、だからこんな具合に聴くことができた。
長女マリアさんを失い、さらに反マーラー運動でウィーン宮廷歌劇場監督の地位を辞任せざるを得なくなって、もしもマーラーさんが本当にイヤになっちゃったら、こんなに素晴らしい交響曲を作曲することはできなかったであろう。
作曲時期は1907年から1909年。
当時はブルジュア支配層による貧富の差の拡大、理性的人間観の敗北、社会主義や民族主義の台頭と、どんどん世の中がおかしな方向へ傾いてゆき、第一次世界大戦(1914年~1918年)に突入する寸前。
中国の詩に含まれていた西洋にはない価値観の提示というより、厭世的な気持ちをこんなに素晴らしい曲に仕上げてしまったということが素晴らしい。


「しかるに人間よ お前の生はいかほどか?
百年と持たぬではないか。
朽ちるばかりの瓦落多(ガラクタ)にうつつをぬかしながら。」

「涙は止まるところをしらない 我は独り
あまりに長い 心の秋
愛の太陽よ お前はもう輝ってはくれないのか
苦渋の我が涙を優しく乾かしてはくれないのか」

「人生もまた一場の夢なら艱苦に耐えて何になろう?」


というような内容であってもそれを高度な交響曲に織り込んでしまった。
マーラーさんはとても音楽が、作曲が好きだったのだ。
イヤになっちゃうことも音楽で客観化し克服してしまった。
ということは…

好きなことを存分におやりなさい、というメッセージだったのではなかろうか。
そうすれば思い残すこともないかもね、というメッセージだったのではなかろうか。
ガラクタという言葉は傍観者の言うこと、ガラクタかどうかは本人が決めることだ。
我々に残されている時間は少ない(のかもしれない)。


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今回もマルチマイク録音がされていました。
ところがマイクの配置が以前のと全然ちがう。
音に対する考え方が違うのが分かる。
面白いなぁと思いつつも、これだけ違うとマルチマイクなどと十把一絡げでは片付けられないな。


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これで2011年度の東京都交響楽団定期演奏会会員のコンサートはすべて終了。
2012年度も同交響楽団定期演奏会の会員です。
後期は少ないので他のコンサートにも行こうと思っています。
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# by kiirojbl | 2012-03-29 23:02 | Suntory Hall | Comments(2)